さよならアコ

人間って面白い

女の吐いた湯気はふわりと立ち上り、天井よりずっと下で消えてなくなる。
女の発言よりも、僕は彼女の口内が気になって仕方なかった。
熱いものが平気という知り合いは何人かいるが、出されたばかりの熱々のお茶をあんなふうに一気飲みする人間と言うのは見たことがない。
口の中がプラスチックでできているとしか思えない。
それとも、淹れたてと思ったが実は意外とぬるいのだろうか。
僕はお茶に手を伸ばした。
器は熱い。持っているだけで手がじりじりと焼かれそうだ。
しかしどうだろう、器は熱いけれど中身は意外とそうでもないというのはよくあることではないだろうか。
実際職場でお茶を淹れてもらった際にはわりとよくある。
だからきっとこのお茶も、器に対して中身はそうでもないのではないか?そうなんだろう?


「あちちっ」

「大丈夫ですかご主人様!!
お水、お水っ」


僕の背後で待機していたアコが冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してくれた。
茶に触れた口が痺れた様にびりびりと痛む。
熱いなんてレベルではない。これは熱湯だ。
一口も飲むことができなかった湯呑をテーブルに戻し、僕は冷たいペットボトルに口を付けながら女を見た。
僕の無様な姿を笑っているだろうか。もしくは何をしているんだと冷ややかな目で見ているんだろうか。
こんな熱いものを平然と飲んで見せたこいつはもしかして見かけ通り、宇宙人なのか?
女は何も言わないまま、怠そうな目線で僕をじっと見下している。


「ふぉとにでらへないっへ、なんのふぉとだ」


僕は痛む舌を必死に転がした。
上手く口が回らず滑舌がほぼ死んでいるが、今の僕にとってはこれが限界だ。
アコが持ってきた水で口内を冷やすが痛みは取れない。
口の中をやけどすることは度々あるが、今回は重傷のようだ。
普通だったらここは笑うところだが、女は表情をまったく変えず、僕の問いに答えることもなくただ頷いて、人差し指で宙を指した。


「人間って面白いですね。
ちょっとメモしていいですか」


ぐるりと、女の指が宙に円を描いた。
指先に合わせてまるでネオンのような光の筋が走り、宙が切り取られる。
宙に浮かんだ光の環の向こうには奥行きがある。
中は見えないが、一つだけわかる。
異常な現象を目の当たりにしていた。
よく薄暗いコンサート会場でペンライトを振った後の残像が、そのままそこに残っているような状態。
女の指先は派手な色をしているが、ライトを仕込まれている様子はない。
というか、残像なら消えてしまうのだ。
ライトではこんなことはできないだろう。
これは手品か、はたまた夢か。
まるで宙に絵を描いたように、それはじっとそこに浮いているのだ。
僕は目を凝らした。
環の上に糸は、なかった。

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